起源・由来

延文三年(1358年)    開創

会津芦名氏の家臣、新国氏が萱本村(一説に河沼郡笈川村ともいう)を領していたとき、本願寺三世覚如上人の法弟玄栄を招き、
一寺を創建して頂永山太子寺を号し、新国氏の菩提寺としたという。

永禄四年(1561年)    大賀山太子寺

新国氏は安積郡中地城に移り、太子寺の山号を改め大賀山太子寺と称した。
このとき、新国氏は中地村の内に弐貫五百文の地を寺領として寄進したという。

永禄九年(1566年)    頂永山本念寺

新国上総介が中地より岩瀬郡長沼城に移城したため、太小寺も御付寺として長沼に移り、頂永山本念寺と改め、活発な布教活動をはじめたという。
後、本念寺五世恵乗のとき、二男本念坊浄尊が本念寺を継ぎ、長子宝山坊浄西が、別寺である勝誓寺を南町(現金町)に建立した。
勝誓寺は後、全授の代に須賀川に移り、本願寺派に属した。

寛永年間(1624~1643年)    真宗大谷派 本念寺

長沼に残った本念寺は、八世善超の代、大谷派に属して現在に至る。

天正十八年(1590年)

葛西・大崎一揆のさい、浦生氏郷家臣であった新国上総介の長子其親が戦死し、其親の遺子西念が幼少もなわれて、上洛。
本願寺唯如上人の薙髪をうけた。

慶長十八年(1613年)

安積郡小原田に帰り、威光山長福寺を創建したが、後、長福寺を楽永山円寿寺と改めている。
後円寿寺は本願寺派に属す。


本念寺歴代

本念寺歴代

長沼町指定 重要文化財

 

親鸞上人御絵伝

   

【見真大師】

     
  境内は、東西三六間、南北二八間、除地二反五畝五歩、此高二石二斗六升五合。

本尊阿弥陀如来は下品下生の立像で慧心僧都の作であり、
本尊左に東照大権現の位牌、
右に徳川家代々の位牌を安置したという。

法会、忌日にあたり親鸞聖人の御絵像を右に、
聖徳太子像および三国七祖の絵像を中壇の奥にかけ、
左には派祖教如より真如上人ますがとされてきたが、
本念寺蔵の御絵伝は、東本願寺二世、宜如聖人が裏書を附して下附したものである。
(現長沼町指定文化財。)


梵鐘は本念寺二十二世釋諦順の代であるが、次の銘が残っている。
【梵鐘】 【梵鐘の内容1】
願似此功徳

平等施一切

同発菩提心

往生安楽国
【梵鐘の内容2】
施主奥州岩瀬郡長沼実包、
館ガ岡村五十嵐半兵衛、
頂永山本念寺二十二世願主、
釋諦順求之、
干時宝暦五乙亥年八月廿八日出来也、
奥州岩瀬郡須賀川住人御鋳物師鳥氏棟治
治工佐藤沼三郎尉藤原信義作
同 茂出木多庄エ門政重
富札、
内町念仏講中 金町同 横町同 金町十九夜講中、
龍生八十内村中、
当寺在町担師 釋明法釋明覚、
須田氏、
世話人内町鈴木平左エ門、
同儀左エ門。
と記されている。