ごあいさつ

長沼町豊町にあって、浄土真宗、京都、本願寺に属する。もと会津芦名氏の家臣、新国氏が萱本村を領した時、廷文三年(一、三五八)、本願寺三代覚如の法弟、玄栄によって開基され、太子寺と号した。
 のちに新国氏は中路村に移り、永録四年(一、五六一)長沼を領し、長沼城に移る。太子寺も御附寺として長沼に移り、勝誓寺、本念寺となる。勝誓寺は後に須賀川に移る。
 本念寺は恵乗の二男、浄尊が開山した。一説には、当時の開山は、唯心上人(俗称井上九朗左衛門義晴ともいう。)と言われる。
 当二十一世、團石は、会津浄光寺井上某の二男であったが、当山に養子となっても、自分の性を名乗った。当時は代々井上の性を名乗っている。
 なお新国傅吾の嫡子、西念は又戦死後、祖父上総介に育てられたが、傅吾の養子、隼人佐は、罪により家が弾断絶になった折、当時の七世西誓の代に西念を引き連れて、京都に上がり、本願寺唯如上人に嘆願し、死罪を免じられ、人事を乞うたところ公儀より上人に任せられたので、釋西念と号して仏門に入った
 慶長十八年、奥州安積郡小原田村に一寺を建てた。のち長沼城中より楽永閣を移し、楽永山円寿寺と号して今に残る。
 後に本念寺は長沼陣屋時代には駆込寺として、庶民生活と密着した寺である。